5.歴史と食文化の追体験

義務教育終えてから何年たちますか?大学卒業してからは?

歴史は発見、発掘により新たなエビデンスが現れ、日進月歩アップデイトしています。

社会人は、新たに情報を取得する手段や、学び直しの機会は限られています。

何よりも私たちの学んだ歴史は暗記科目ではありませんでしたか?

1192(いい国)作ろう鎌倉幕府(源頼朝が征夷大将軍になった年)って覚えた受験用歴史

現在は1185(イイハコ)作ろう鎌倉幕府(征夷大将軍になり前にできていた)になっています

縄文時代は狩猟採集民で移住生活が主だった。定住は稲作が大陸から入ってきた弥生時代から。と

しかし、縄文時代の遺跡から稲作の痕跡発見。三内丸山遺跡の発見発掘でわかるよう、縄文期ですでに定住、稲作はあったと

これらを学術的に学んでも、私たちの日常生活の中では受験勉強の延長で、受験のない我々には無用の産物。

体験学習として学んだらどうなの?

江戸時代脚気が江戸の町で大流行。地方に旅に出ると、治る病でした。

戦国時代まで、主食のコメは玄米を蒸して食べていました。

精米した白米を食べ始めたのは江戸時代から。

これらを体験学習でcampしながら先人の追体験で学びましょう

開催場所:浦野ファーム野営地

1.縄文CAMP

 13時からポーラス竹炭作り(竹林整備をして今日の野営地を整えます)巨大焚き火
 15時から飯の支度・ジビエバーベキュー準備 主食は無農薬発芽玄米の五分つき米に古代米ブレンド 

 猟友会メンバーによる、焼肉パフォーマンス。鷹匠によるハンティング。

 翌日朝食はどんぐりクッキー
 

燃えるゴミは燃やしてください。各人燃えないゴミは持ち帰り。

食材を先に渡します

■トイレの使い方
ポイント
1.大便と小便を分けてする。
 前のロートの部分が小便受けです。
 大と小が混ざると匂いが発生します。
 混ざらなければ汚物も臭くないです。

2.大便をした後、おが屑と竹炭を混ぜたものを大便が見えなくなるまで1センチ位の厚さでふりかける。微生物が大便を分解し、おがくずと混ざり、腐葉土になります。
竹炭は消臭効果のほか竹炭の穴にバクテリアを住み着かせます。それによって大便をどんどん分解してきます。

3.お尻を拭いたトイレットペーパーは、中に捨てずに準備してある紙袋に入れて焚き火で燃やす。
以上がルールです。皆様守ってください。

2.戦国武田騎馬隊CAMP

 武田騎馬軍団の歩兵は西上州侵攻の時どうやって野宿をしていた。

 足軽は何を食べていた。鉄砲を放つ火はどのように利用されていたのか?

 体験学習します 


戦国時代の食事は、基本的に朝8時ごろと午後2時ごろの1日2回です。夜遅くまで起きているときは、まれに午後9時ごろに夜食を食べることもありました。また、城や砦などの重要拠点の守備に欠かせない、夜間警備の任務に就いていた者の場合、夜8時〜9時ごろに3食目を食べることも多かったようです。

内容は1汁1菜でご飯の量が最も多く、1回につき2合半食べる者もいたようです。汁物は味噌汁・糠味噌汁・塩汁などで、食事の終わりには、ご飯にかけて一緒に食べていました。おかずは野菜、海草、かまぼこ、梅干し、漬物、鳥、魚など、さまざまあったものの、豊富なおかずを食べられるのは当然裕福な者のみで、ほとんどおかずがない食事も少なくありませんでした

玄米や雑穀が中心で、せいろで蒸した「強飯(こわめし、こわいい)」が主食でした。中級以下の貧しい武士の場合、雑炊にしてかさ増しして食べることも多かったようです。

玄米は籾殻を除去しただけなので、白米のように精白されておらず、1粒1粒の色が褐色を帯びています。色がついた部分は「糠(ぬか)」で、ビタミン・ミネラル・食物繊維が豊富に含まれているため、現在でも健康食としてよく知られています。おかずが足りない分、これらから栄養を摂っていたと考えられています。

今回は時間的な問題もあり干し飯と味噌玉はあらかじめ主催者が用意します。一般的には干し飯は3日かかります。味噌玉は2日の乾燥天日干しの時間がかかります

当日はつくり方のレクチャーだけZIPROCKが用意されていれば乾いていないものを入れて帰宅後作れます。

戦場の食事「陣中食」とは
戦場での食事は普段とは大きく異なり、腹に巻いたり腰にぶら下げたりする「陣中食(携行食)」が作られました。主なものに握り飯・乾飯、兵糧丸、味噌玉、芋茎縄などがあります。

●握り飯・乾飯(ほしいい、かれいい)
握り飯は、現代でも食べられるおにぎりのこと。乾飯とは米を炊いた後で乾燥させたもので、水と一緒に食べたり、炒めたり茹でたりして食べられていました。

●兵糧丸(ひょうろうがん)
お米や蕎麦粉、豆類、魚粉などを混ぜてよくこね、丸めたもの。地域によって材料も味もかなり違ったようです。大名の中には、製法を秘密にしていた者もいました。

●味噌玉(みそだま)
焼き味噌を1食分ずつ丸めたもの。お湯で溶けば即席の味噌汁になり、そのままかじって塩分補給にもできます。梅干し、ワカメなど海産物、野草・雑穀などを入れたものもありました。

●芋茎縄(いもがらなわ)
サトイモの茎(ズイキ)を味噌汁で煮しめて乾燥させ、縄状にしたもの。腰に巻きつけて運べて、普段は縄として使えるだけでなくそのままかじって食べられ、ちぎって鍋に入れて味噌汁にもできました。

有名戦国武将が好んだとされる食事をご紹介します。ぜひ、再現してみてはいかがでしょうか。

■上杉謙信「勝どきメシ」
上杉謙信は、日常の食事は一汁一菜と質素にしていたものの、ひとたび出陣となれば山のように米を炊き、部下や兵士たちに山海の幸をふんだんに振る舞った、と伝えられています。勝利を祈って豪華な食事が振る舞われたことから「勝どきメシ」と呼ばれています。お子様の受験や大事な勝負の時に、ぜひ食べてみてはいかがでしょうか。

【一例】
・玄米
・集め汁(ズイキ、ごぼう、ネギなどの季節の野菜と、干した魚を入れた汁)
・炙り焼き(合鴨やきす、川海老、芋などを焼いて松の実味噌につけて食べる)
・胡桃(くるみ)浸し(季節の野菜をくるみで和えたもの)
・刺身(白身魚、くらげ)

当時は醤油や砂糖が貴重だったため、使わないのがポイントです。刺身はずんだ酢(潰したずんだ豆と酢を合わせたもの)、煎り酒(酒に鰹節、梅干を入れて煮詰めたもの)、わさびや生姜などの薬味につけて食べていました。

■豊臣秀吉「豆味噌のにぎり飯」
米に麦を混ぜて炊き、握った飯に大豆100%の豆味噌(現在の八丁味噌)を塗ったものです。豊臣秀吉は、兵糧攻めや水攻めなど、人の命を無駄に奪うことなく敵を投降させるために米を使うのが上手かったとされています。そんな秀吉が生涯好んだのが、豆味噌の握り飯。

握り飯の糖質をエネルギーに変えるには、ビタミンB1が不可欠です。麦や豆味噌にはビタミンB1が豊富に含まれるため、エネルギー効率が非常によく、戦場で役立ったと考えられています。

■徳川家康「麦飯」
麦飯、麦ご飯とは、大麦などの麦だけ、あるいは白米と麦を混ぜて炊いたご飯のことです。

平均寿命が37〜38歳だった戦国時代に、75歳まで長生きした徳川家康だからこそ江戸幕府を築けたと言われています。徳川家康は、若い頃から晩年まで一貫して麦飯を食したとのこと。質素倹約を旨とするための行動だったのですが、実は麦飯こそ栄養価が高く、結果として長寿になったと考えられています。

家臣が気を遣ってお椀の底に白米を盛り、上に麦飯を被せて出したところ、家康は激怒したというエピソードもあるほどです。

■石田三成「ニラ雑炊」
関ヶ原の戦いに敗れて逃亡し、捕らえられた石田三成が最後に所望したのが「ニラ雑炊」とされています。水を沸騰させて味噌を溶かし、ご飯を入れて煮込み、ニラを入れてさらに煮込む雑炊で、胃腸に優しく、血行を良くする効果が期待できる健康食です。

実は、石田三成はこれを最後の食事にするつもりはなかったとされています。逃亡中に腹をこわして下痢になってしまい、ニラ雑炊で腹痛や下痢を和らげようとしたとか。最後まで戦う意志を忘れない姿勢は、現代でも見習うところが多いかもしれません。

3.江戸期善光寺まいりの街道筋野宿

 江戸からどの道を通って善光寺まで行ったのか?

 お土産に何を買ったのか?

 次の宿場町にたどり着けなかったとき、どこで野宿するの?

 江戸っは何を食べていた?地方の百姓は何を食べていたのか?