吉井宿狂歌カルタ:う

碓氷峠 検問きつく 姫街道



関八州の出入り口となる碓氷峠の関所は取締りが大変厳しく、
上州・信州の往来は裏街道となる、通称「脇往還」、
信州姫街道(下仁田街道)とも呼ばれる旅路が利用された。
江戸からの信州善光寺詣りの旅人や商人達は、
武蔵国の本庄宿までは中仙道を通り、
そこから現在の国道254号線に当たる
藤岡宿、吉井宿、富岡宿、下仁田宿、本宿、和美峠と
裏街道のほうが検問も甘く峠越ができた。
本宿にも関所はあったが、信州に抜ける道としては本宿を通らず、
他に入山峠があった。
文政8年(1825年)には競合する沓掛・軽井沢・坂本の3宿の困窮を
理由に通行禁止になった。
ここが関所破りの路となる。
しかしその峠は高低差も激しく、女・子供には厳しい道のりであった。
それでも「姫街道」と呼ばれるのは女子の往来が多いからである。
なぜなら、碓氷峠の関所は、信州から上州に入るには、
男は、検問無しだが、女はきつい検問があった。
特に上州から信州に向かうには、登りばかりの急勾配である。
帰りは初めから標高の高い佐久からの峠越えなので
比較的楽な下り道の帰り道となる。
善光寺詣りの帰りも同じ道をたどり、
帰りの吉井宿で火打金をお土産に買うのが慣わしとなった。
その火打金が大変火が良く付くと口コミで江戸中評判になり、
西の「明珍」東の「吉井」とまで言われたが、
吉井産の物の方がはるかにつきが良いと記されている。

―参考:吉井町郷土資料館 WIkipedia ―

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