お:近江守(おうみのかみ)助直伝える 刀鍛治 信玄配下の 火打鍛治の元
吉井宿の火打金製造の始まりは「多野郡誌」の「吉井町物産」によると、江戸時代初期に武田信玄配下の子孫、近江守助直(おうみのかみすけなお)という刀鍛治が火打ち鎌を作ったとありますが、その事実を史料から確認することは出来ません。ただし江戸時代後期の風土誌「多胡砂子」によると「水精こわき故火打ちかね名産二而鍛治(にてかじ)多き所」とあり、また「守貞漫稿」には「燧鉄京阪にてひうちがね江戸にてはひうちがまと云う上州吉井氏の製を良とす」と記されており、江戸時代の吉井火打金は評判を得ていたことがわかっています。しかし吉井火打金も明治8年よりマッチの国産化によって消費が落ちたことにより、明治30年頃を境に製造をやめるところが続出しました。
―出典:吉井町郷土資料館―